春と言葉の恩恵について

 

台湾から国際交流のためにうちの大学に向こうの主任教授と洋画の教授がゲストでやってきたので、その通訳兼ちょっとした作業係に一日大学に雇われた。久しぶりにしっかりと中国語をしゃべると大分劣化していてうんざりしたが、そこは台湾人の教授二人に褒めてもらってなんとか折れずに済んだ。台湾の学生と教授の関係は日本と違ってよりフランクで、上下関係もあまり感じない(これは中国語の中に日本語のような年上への敬語が存在していないことも関係がある。敬意表現はあるが、ですますのような語尾が存在していない。)

 

朝空港まで教授と迎えにいって(でも教授の運転なので、教授と二人で海とか山とか見ながら空港に行ったのでほぼドライブデートみたいなものだった)、夜ゲストと自学科の教授と共に食事会で食事をとったりしていたので、その時の通訳も適当に行っていた。中国語も喋れて美味しい食事もついてきてお金も貰えてなんていいバイトなんだとホクホクしていたら、食事会の後で尊敬する教授の方々から感謝されたり褒めてもらえたりして、こんなに幸福でいいのかと思った。最近留学でダラダラ遊んでただけだろうと怒られてばかりで、自身の留学経験に自分で影を落としていたが、決して無駄ではなかったのだと自分の中で自信が持てた。だってもしもダラダラしてただけなら、昨日みたいに自分の中国語スキルを人のために役立てることなんてできなかっただろう。努力の結果だよ、と教授に言われて泣きそうになるかと思った。

 

帰り道、月を見ながらふらふらと歩いて帰った。帰国してからの三ヶ月で一番楽しかったし、一番幸福なひと時だった。自分の能力で人を幸せにできる場所に自分はこれからも居たいと思う。