読書の日記

fuzkueの阿久津隆さんの読書の日記という本を読んでいて、自分は本当にこういう、毎日積もって行くアーカイブというか、記録というか積層みたいな行いを見るのが本当に好きで、それは多分自分がやろうと思ってもなかなかできず短期的であったりイベント的であったりしてしまい一度も習慣になったことがないからだと思う。要は飽きっぽいのだと思うが、最近とみに自分の目に見える形でものを残すことについて真剣に考えていて、なぜなら僕はクルクルパーなのと大学に入ってからようやく自我が芽生えたので自我以前の記憶をすっかり忘れてしまっているから、というのもある。目に見える形で、未来の自分にヒントになるようなことを残したい。この間高校の時に使っていてパスワードを忘れたか受験勉強に入るからやめたかどっちかのアカウントが突然who to followのところに出てきて、読んだら確かに今の自分と続いてるんだけど、これは絶ッ対に今の自分ではないな、書いてることは本質は変わんないけど確実に断絶があるな、みたいな文章が並んでいて、もしもタイムマシンで過去の自分に戻ってあったらこういう感覚になるんだろうなと思った、固定化された、たしかにそこに存在してガラケーかパソコンでツイッターを開いてフォト蔵をつかったりtwipicを使ったりしていた頃の自分、自我が目覚める前の自分に偶然出会って、本当の本当にびっくりした、そのあとすぐにそのアカウントはまたインターネットの海に消えて行った。

高校つながりで、そういえばメガネを注文するためにメガネ屋に行った、メガネを東京で亡くしてしまったのだ。

実家に帰る時に合わせてその店に行った。そのメガネ屋は 高校2年の時に英検を受けた帰りにふらっと寄ってみつけたメガネ屋で、jinsで作ったメガネが合わなくて返品してメガネがなかったこととかが関係してあたらしいメガネとメガネ屋をちょうど探していた時で、店主のお兄さんの対応もすごく良くて、すごく丁寧にメガネやレンズを合わせてくれて、jinsで30分で作ったメガネはかけた時気分が悪くなってしんどかったのにそこで一週間かけて作ったメガネはすごく気持ち良くてフレームもとても良くて幸せで、丁寧に作られたものを受け取って身につけるみたいなのは本当に気持ちがいいなと思った、それ以来ずっと通っていて、私の目のこととかしっかりわかってくれるという信頼関係がある店で、今回もそれで選んでいて、ただし姉からは3万以内で、3万以内でといっても極力節約してねと言われていた、のだが

店主のお兄さんと13時に約束していたのだが私が寝坊をして電車を一本逃したせいで一時間到着が遅れてしまった。その旨を連絡したところ14時に駅まで迎えにいったげるわ!とのことで駅まで迎えにきてくれて、実は今日これから店主の兄さんは3時までに大阪に向けて出発しないといけなくて、それでちょっと忙しいのだという。こっちの都合でごめんよーーーと言われたけど、こちらとしても遅刻してしまったし迎えにきてもらってるし店に着いたら店主の兄さんの連れは待ってるしでうわやっべえこれ、となり、店主の兄さんがオススメしてくれたフレームの中とかその近くにあるやつからフレームをささっと選んだ、オススメしてくれたフレームはだいたい2万以上とかだったんだけど、もう5年くらい通っているのでその店の二万以下のフレームのやる気のなさとか、多分二万以下のフレームの中で自分の気にいるフレームは存在しないだろうなということとか、お兄さんが本当にいいやつを揃えててそれはだいたい二万以上だというのとかこっちはわかってるし、安いメガネで苦しい思いをしてきたのもかなりあるし、俺は兄さんが好きだったので、ぶっちゃけかなりプレッシャーはあったしなんで俺は今日寝坊なんかしてしまったんだろうとか暗惨たる気持ちになりながらも、フレームを選んだ。僕は目が少し乱視が強く、普通の安いメガネ屋だと調整が非常に難しい目をしているらしくて、いろいろと快適に過ごすのが面倒な目だったりする。オススメしてくれたフレームが27とかで、でも姉から(別に姉は金はださないんだけど)3万以下、極力抑えろって言われてるんで・・・と言って、23のフレームにしてレンズを作ってもらう時にまあ学割きかして安くしとくわーっといわれたので、と思った。これで姉も黙るだろ、と思った。そしたら次の日にメガネのことを話したらなんでそんな高いフレームにしたん、なんでそんな店の人が出してきたやつをするすると決めれるん、お前は何様なん?とか言われて、ついでにどこのメガネ屋のレンズも一緒だろ、二万以下のフレームを揃えてないメガネ屋なんかそんな売れないのにあるわけないだろ、ていうかメガネは買ったばっかりの頃は気持ち悪くなるけどすぐ慣れるもんや、お前はメガネもろくに買えないのか?とかギャーギャー言われて、それを聞いた母親すらも一理あるみたいな感じで黙ってしまい、俺は俺でかなり傷ついてもう会話をしたくなくて黙ってしまった、俺はこの目の前の女に自分の大事にしてきた関係性や信頼を、何にも知らない女に否定されるのが悔しくていやでたまらなかった、頼むから俺のそばにもう近寄らないでほしかった、ていうかメガネのフレームとかそんなどうでもいいことで人がいらついたり怒ったりしていることが信じられなかったしあったこともいったことも話したこともない店をわかったように話したりすることのその態度をもう視界にいれたくもなかった。俺はこんなくそくだらないことで人を怒らせるようなことをする人間になってしまったことの絶望と血の繋がった人々にどんどん失望していく絶望がないまぜになってなんでこんな家に生まれてきたんだろうかと思った。そして自分がすみませんとごめんなさいしか言いたくなくなるモードに入ったのを確認した。朝ごはんは食道の奥で外に出るのを待ち構えていてずっと口もとに手を置いてそれを抑え込んでいた、そとは晴れていて俺は泣いていて、昨日自分の手の中で綺麗に輝いていた自分のものになるはずの気に入ったフレームのことを思っていた。駅に送ってもらう時に母親からなんでこんなすぐ嘘をつく子供に育ったんだろう、そんなことなかったのに、大学でそんなことになったんか?と言われて、その自分は一切子育てで間違えなかったとでもいうような姿勢に反吐が出そうだった、お前の子供は昔からお前に悟られたくないことがたくさんあって今に始まったことじゃねーよと思った、姉に頭を撫でられたが気色悪かった、距離をとって暮らしたい人々にがんじがらめにされている今の状況が本当に死ぬほど嫌なんだなと思った、向こうは断絶が目の前に広がっていることにどうしてこんなに気づかずにいられるのか信じられなかった。

 

 

人からの影響を受けやすいので、読書の日記を読んでいると日記を書きたくなった、ツイッターライフログといえばライフログなのかもしれないけどあれはどちらかというとゴミ溜めとかそういうのになりつつある、嘔吐物の結晶、窓の外の風がうるさい。

 

 

 

読書の日記の真似じゃないけど、ちょっとしばらく自分の中で日記ブームが続くと思うので、日記みたいなことをしてみようと思う。今は坂本龍一の40歳くらいの時のアルバムを聞いていて、坂本龍一みたいな完璧な音楽の神に愛された天才が、歌うとちょっと、いやかなり下手くそなのに愛嬌があって、心解かれるような歌声なのは、本当にずるいと思う。美貌の青空はかなり好きだ。とりあえず今日は阿久津さんリスペクトで、ウイスキーを飲んでチョコを食べて、読書の日記を読み進めようと思う。