イノシシを解体した

 

山の奥に猟師をやってる友人がいるので、渋家に住んでた友人がこっちにやってくるタイミングに合わせて行ってきた。

 

昼ごはんを食べて、山の中を車でびゅんびゅん飛ばす。初日は少し雨が降っていて、霧が出たりもしていたのだけど、雲の晴れ間からわーーっと太陽がのぞいた時は天地創造の瞬間に立ち会ったような気持ちになった。

 

その日の夕方に解体場に向かい、猟師の友人と、友人の友人の肉屋さんから丁寧に教えてもらいながら、うりぼう一頭を丁寧に四人がかりでさばいて行った。

むかしイノシシをさばいた経験があって、その時は素人四人とよくイノシシをとる人の五人でやったのだけれど、ぶっちゃけみんな肉をさばくことに関しては素人だし、さばいた環境もそんなに衛生的ではなかった。今回の懇切丁寧で、衛生的(皮を刃が突き破ったら即煮沸消毒10秒、皮に刃が触れても煮沸)で、肉をさばくとはなにか、人の口に入るものを作るとは何か、プロの仕事とはということをまざまざと見せつけられた経験とは雲泥の差だった。今回の経験はより、肉を食べる、生き物を殺してどういう風に食べてやるかいうことの方面を強く感じた。

銀の解体台に乗せられたイノシシの皮をナイフでどんどん剥いでいき、肉だけにしていく。皮を剥かれたイノシシは、気づけば肉になっていた。背中まで刃を入れて、背中だけ残ったらあとはフックで吊るして、背中に刃を入れやすいようにし、背中の肉と皮の間に刃を入れて皮を剥いでいく。

イノシシ肉は癖があると思われがちだが、きちんと血抜きをすればそうではない。殺し方、血抜きのやり方、様々な要因で臭くなるが、その原因を排除すれば驚くほど臭みのない肉を食べることができる。

皮が完全に向けたら、頭を取る。首の骨の隙間に刃をすべらせ、頭を取る。

脳みそを食べてみたいと友人が言ったので、頭の骨をのこぎりで割り、そのまま脳みそを茹でた。脳みそは魚の白子みたいな味がした。寒かったので、近くのお店から猪肉の味噌汁の差し入れが届き、脳みその茹でたやつと一緒に食べながらしばし休憩する。

その後、肩ロースやもも肉など、聞いたことのある部位に分けながら、関節にそって、骨にそって、肉を分解していった。ここがサーロイン、ここがヒレ肉・・・など、切り分けられた肉が、スーパーでよく見る形になっていく過程は面白かった。ああ、食べるってこういうことだよな、そういうことだよな、と思った。

肉は、血が出ているのに全く血生臭くなかった。むしろスーパーのものよりもいい匂いがした。

筋膜の隙間の筋を切って、肉と骨を分けていく。その隙間からは美しい匂いがした。

 

肉に愛おしさが込み上げてくる、と肉屋のお兄さんはいう。解体していると、このイノシシはこういうやつだったのかなあ、とかこいつかわいいなあ、とか、美味しく食べてやるからな、と思うのだという。その感覚がなんとなくわかった気がしたし、目の前の肉をきちんとたべてやらにゃ、と思った。

そのあとパック詰をして、家に持ち帰る時、今日解体をみにきた近隣の人、教えてくれた肉屋の人、猟師の自分の友達、東京からわざわざ会いにきてくれた友達すべてにありがたい、出会えてよかったなあという気持ちが出てきて、いつも日常生活で感じている変なストレスが霧散していったのを感じた。

 

そのあと、友人の家でサーロインステーキ、猪肉のしゃぶしゃぶ、カレーいため、ルッコラとレタスのサラダ、友人お手製のパンを食べながら解体について話し合い、ビールをのみ、暖かくして眠った。

 

朝起きると、友人が昨日の皿を片付けてくれていた。

カーテンから差し込む光があまりに美しくて、私は起きて一番になんてきれいなんだ、美しい光だと思った。イノシシ肉をたらふく食べて、体がすごくポカポカしていた。

朝ごはんは、付近で採れたレタスとりんご、友人のパン、イノシシの骨でだしをとったサツマイモとジャガイモの味噌汁、ご近所さんの育てた放し飼いの鶏の産んだ卵で卵かけご飯を食べた。もちろん、コメも地元のコメだ。

そのあとピクニックへ行って、友人のオススメの湖畔でコーヒーとパン、おやつを食べながら、友人がこれからやりたいことや、とりとめのないことを話しあった。水面の光が木に反射して、音が何もなくて、とても気持ちが良かった。猟師の友人がこの場所を共有するのは初めてで、共有できて良かった、といってくれて、自分の大事な場所に人を招き入れる勇気のあることをしてくれてほんとうにありがとうと思った。

同じものを食べて、同じ場所で眠って、特別な場所を共有すると、人間は心にパスができると思う。心のパスをたくさんの人と繋げることができて、本当に今回の旅行は気持ちが良かった。また遊びに行きたい。