20181009

 

最近自分の行為がどんどん雑になっていることに気づいて、おかしくなっていることに気づいた。

コンビニの食事で毎日済ませたりとか、バスに毎日乗ったりとか、すごく些細なことだったんだけどそれと日常のストレス(家族、仕事、制作、人間関係)もろもろで、とうとう最終面接の会社にも落ちてしまい一気にどん底になってしまった。

 

面接に落ちた後あまりにもしんどくて、そこまでしんどくないつもりなのになぜかしんどくて、お昼ぐらいに外に出ようとして準備をしようとしたらぼろぼろと突然泣いてしまって今日はI日休憩することに決めた。

 

その後好きな珈琲屋に行って、タバコを巻きながらぽつぽつとそういった話をしていたら、「良くなる意思」みたいなものを今君は失っていて、それを忘れるっていうのはすごくやばいから、思い出さないといけないよ、と店主に言われた。

 

良くなる意思とは、具体的にいうと自分の行為とか、動きとか、思考とか、生活とかを良くしていくぞ、例えば目の前のタバコの巻き方を、適当にするんじゃなくてきちんと上手くなっていこうとすること、たべものをゆっくりと噛んで食べること、物事を適当にゴリ押しで済ますのではなくて、きちんと良くなるようにしていくことなどが含まれる。

 

そういった感情をそういえば久しく生活の忙しさとか、ストレスとか、様々なものでおしつぶされてすり減らしてしまった。

店主にタバコの巻き方を教わりながら美味しいコーヒーを飲んでいると、逆に面接に落ちて、アーティストとしてやっていくことについてきちんと覚悟が決まってよかったんじゃないかと思うようになった。デザイナーとか、自分が適所ではないところにいかなくてよかったと思った。適所のことについて、面接落ちた時に先生に相談した時に、自分がいて自然だと思う所を想像したらいいよと言われ、その時思ったのがカフェでコーヒーをいれている自分とか、古着屋で働いている自分とかで、決してデザイナーやいけてるオフィスで働いてる自分ではなかった。そっちのほうがほんとに楽に生きていけるとも思う、

 

なりたい自分となれる自分は違うのだ、なれる自分の中でいちばん良くなれるように選択していくしかできない。

 

 

最後に店主から前向きになれるパズルを渡されて、もう一人のお客さんとうんうんうなりながら解いていたら解けた時にはもう日が暮れていて、すごくすっきりした気持ちになれた。休憩したので、ゆっくり頑張ろうと思う。とりあえず適所ではないところには、もういかないようにしようと思う。