夜のゆくえ

フランスの友人が街を出ることになった。なんてことはない、ただの自然の動きだ。日本語が話せない自分にフラストレーションが溜まったのだという。

 

出る前にスケートボードで遊ぶ約束をしていたので、夜にゲストハウスで待ち合わせをして、そのあと飲みに行った。

自分は彼と一対一で話すときに昔は緊張していたが、今は彼が自分の拙い英語をきちんと聴いてくれて、そしてきちんとそれに対して答えを返してくれる人間だとわかってからは、臆せず話せるようになった。今までの欧州の人々は皆あまり話せないと見下してくる人々が多かったから。

彼は人の心をその眼でまっすぐに見透してくる人物でもある。考えはシンプルで、思ったことを行動に移せ、その時にお金のことなんかは関係ないでしょう?お金のことでゴタゴタ考えるのはつまらないよ、と言ってくれた。

自分は彼と話す時に純粋な、それでいてとてもパワーのある答えがドスンと心の中に落ちてくるのをありがたく思っている。

「そして、でもやっぱり君は家族から独立するべきで、人々は家庭から外の世界を持つべきなんだ。そしてその次の場所や世界は、決める前にここでコネクションを作ったり、どこへ行くべきで自分が動きやすいところはどこかを考えた方がいい。作品を売ったりすることへきちんとチャレンジして行くことを考えた方がきっと君のためになる。シンプルに考えるんだ、シンプルに考えることが決め手を作るから。」

「旅の中で全く関係のない人々に出会って、こんなにもたくさん経験をした僕のようなケースは本当に稀だと思う・・・この街は本当に稀有な街だよ。そして僕はたくさんのことを得たよ、このひと月too muchだった。だから一人でまた旅に出るよ。そんな時間が僕には重要なんだ。」

 

彼は一人日本の南方へ旅立ち、そして母国へと帰るのだろう。

 

彼にはいつかまたどこかで会える気がしている。多分、街の景色の中にも彼はいるだろう。何故ならば彼は、街のかけらや我々、つまり彼と関わった人間たちのかけらを持って行くと同時に、街に彼のかけらを置いて行くからだ。そして街の一部になった彼と共に、我々は明日も、変わらぬ毎日を生きるのだろう。人生のただその時だけを重なり合うことの、なんと素晴らしく、希少なことなのだろうか。一ヶ月しかなくても、生涯の友人はできるもので、たくさんの影響を与え合うことができるのだと、彼と彼の周りから教えられた。

 

A bientôt , 君の旅の幸多からんことを。またいつか、どこかで。

maybe cause we’ll  meet again somewhere,oneday. Thank you gave me  many feelings.