赤リンマッチ

 

この間までやめていたのに、最近またタバコを吸ってしまっている。精神が不安定になるとニコチンに逃げるスイッチができてしまい、どうにかしてねじ曲げたい。このままではいけないと思う。

ただ、いけないなと思う反面、爺さんの肩身のキセルの掃除を行ったりしてしまい、羅宇が腐っていたので新しく羅宇になりそうな竹を山に取りに行こうかなとか、キセル用の宝船を買ってしまったり、赤リンマッチを持ち歩いたりしてしまったりして、考えていることとやっていることの矛盾が激しい。タイムセールだからとVAPEの値段をアマゾンで見たりしてしまって、本当にダメだと思う。

 

赤リンマッチで火をつけるのは、タバコに火を点ける瞬間にポッとそこだけ明るくなるのを見るのが好きだからだ。あと、なぜかライターよりもタバコがうまい気がするから。完全にプラシーボ効果のような気もするが、嗜好品は大抵そういうものだろう。ゴミも出るが、そういうところも愛おしい。

私は基本食事は早食いで、さらにこういう状況だと手抜きな食事ばかりしてしまうので、ゆっくりするということがなかなかできない。シャグを巻いたり、友達とタバコを吸いながら話すのは、心からリラックスできるので、今のような状況下ではやはりニコチンは必要なんだろうなと思う。またいつか吸わなくなる時が来るだろう。

 

 

書類の締め切りと作品の締め切りがまだ三つもあるのと、留学の成績証明書が届かなかったことで大学と台湾の大学のやりとりをなぜか私が行い、そして家庭内の様々なことが災いして精神の中で恐ろしいドタバタを繰り広げ、最近は一体自分が何ができて何ができていないのかわからないパニックを起こし、貧弱な思考回路がパンク状態なことがとても多い。どんどんミスが多くなり、思考の精度も格段に落ちているために、ぼーっとしたり、認知が歪んでいるのでおかしな回答をしたりして、丁寧な文章を構築することができなくなっている。側から見ると不注意にしか見えないため、注意を受け、そしてそのせいでまた自己嫌悪を繰り返し、自分の心を疲弊させていっている。

台湾では語学が不出来であること以外で一切自己嫌悪をしたことがなかった。それはそんな暇がないくらい楽しかったこともあるかもしれないが、基本的にみんなそんなにドタバタしていなかったからだと思う。日本で自己嫌悪せず、行政の書類や印鑑文化と戦うのは正気の沙汰ではないなと思う。

配られたカード

 

朝起きて家族全体のラインを見ると長女から長文で予定を聞くだけなのにこんなにたくさんの人を巻き込んでギャーギャー言わないとわからない奴が戻って来たって足手まといになるだけだからもう知らん、手間がかかるのはばーちゃんで十分だ、好き勝手に生きろ、大学に行かせてやれるように手助けするんじゃなかった、と言われ(手助け案としては実家に基本軟禁で1週間に一回大学への通学を許すと言う内容の提案で、銀行口座の閉鎖やクレジットカードの停止、パスポートの没収などを言い出したのは姉なのだが)、時間帯を見ると8時半で、家族一緒に食事を取った後にブチ切れた家族の代表として長女にその内容を送らせたのか、はたまた長女が一人で送ったのか、定かではないが、まだ精神がまともだと思われる時間帯に送られて来ていたので、本気レベルとしては最高度なんだろうなと思い、いっときの怒りに身を任せてこういう形になっているのかもしれないが、こう言うことを書いてそのほかの家族誰も以降の返事がないので、とりあえず学費の減額申請書を自分で準備しようとまず思った。不思議と精神的なショックは大きくなく(もちろん、ラインであっても長文であればある種の威圧感というか、怒りの感じる文章みたいなものは伝わってくるから、怖いなあと思うのだが)冷静に受け止めることができた。むしろ遅かれ早かれこうなっていたのではないかなあと思う。最悪の形でこうなってしまったので、向こうは一生私を憎み続けるだろうし、今住んでいるアパートに突然やって来て家財を全部持って行かれたり、殺しにくるエネルギーが向こうにもしもあれば殺しにくるかもしれないなと思う。家庭というのは恐ろしい。

とりあえず今日は大学事務に行って用意する書類の種類になかに不明なものがあったのでそれを聞いて来なくてはいけないのと、学費の書類の仕事などの作業をするつもり。

折れないようにしたほうがいい

今日は雨だったので精神と体調が無事に終わりあそばし、しかし作品を作らなければいけないので体を引きずりながら大学に向かった。大学に行くことが一種の精神安定装置になっている。ぼーっと雨の中を歩いていたらお世話になった非常勤の先生に遭遇し、非常勤講師室で茶をしばき、身の上話をした。いやーやばいねー棒さんと言われ続け、先生に言われたアドバイスは悪者になれ、戦略を練ってヘラヘラしながら戦え、ヤケを起こして折れるな、ストレスの原因を君が取り除くのは無理だから、それはもう諦めろ、家族からの精神的な攻撃で、私がへし折れてこれからの人生棒に(文字通り)振らないように、一年間耐え忍ぶんだ、とりあえず大学は卒業した方が絶対にいい、血が繋がってると言っても他人で、血が繋がってるからこそ他人よりもひどいことができるから、お金の問題が終わったら極力距離をとって、関わらないように生きて言った方がいい、自分が死にたくないのなら、分かり合えると言う安いヒューマニズムに落ち込むことはやめて、断ち切る覚悟を決めろと言うことだった、正直その通りで、特に最後の覚悟を決めろはだいぶ効いた。私はジョジョの覚悟論*1を信じているので、覚悟を決めることがこれからの人生を左右するし、敵との戦い方もそれによってより決断しやすいものとなる。要は自分が意気地なしでダラダラとしていた怠惰グセが問題なのだ。問題を先延ばしにしてもろくなことにはならない。

 

こうして、先生との会話でだいぶ精神が回復した。

ちなみにうちの非常勤講師室のお茶は普通くらいのグレード。

 

当事者になると、異常な権力構造やドメスティックな中で繰り広げられる様々な行いに麻痺してしまい、自分が糾弾されるのが当たり前の人間であると思い込み、まったく論理的ではない相手の要求も受け取らなければいけないと思い、精神的な負債を抱えることになる。自分にできることは、恐怖と怠惰、そして適当にヤケを起こそうとさせてくるアドバイスにすぐに染まらないことだと悟った。自分にはそう言う風にヤケを起こして後の自分の中の計画を狂わせるよりも、今耐え忍んだ方がいいと思う程度の理性はまだ残っている。相手方の要求にはいくつか真っ当なものもあるのだ。ただ、楽な方に流れると終わるので、ここで耐え切りたい。ちなみに家族からラインが来ていると通知が見えるが、今日の夜に見るとどうしようもなくなること間違いなしなので、朝に見てから考えることにする。現在の私にとって彼女たちからの連絡を見ることは、極度のストレスを生じさせる行為であるために、とてもしんどい気持ちになる。ただ、行為に覚悟を持って待ち受けるしかなさそうだ。

 

 

*1 「暗闇に道を開くのは、
『覚悟』のある者だけだ…………
『覚悟』とは…………犠牲の心ではないッ! 
『覚悟』とは‼︎暗闇の荒野に‼︎自分の進むべき道を切り開くことだ ッ‼︎」

ジョジョ第五部 黄金の風より ジョルノ・ジョバァーナのセリフ

 

「5年後の未来何が起こるのか?人類全員がそれを知っている

『加速した時』の旅で自分がいつ事故にあいいつ病気になりいつ寿命が尽きるのか?すでに体験してここに来た

頭脳や肉体ではなく精神がそれを体験して覚えて知っているのだ!

そしてそれこそ『幸福』であるッ

独りではなく全員が未来を「覚悟」できるからだッ!

「覚悟した者」は「幸福」であるッ!」

ジョジョ第六部 ストーンオーシャンより プッチ神父のセリフ

 

友達のフランス人とファンキーラブリーガールと夜

 

今日も適当に大学に向かって、今度大阪である展示の作品を作っていたら、家族への予定の報告をサボってたツケでマジギレの、そして更に強制送還させる旨のラインが来ていて、見た瞬間全部無理で全てが嫌になってゼミの後輩からタバコをもらって喫煙所にタバコを吸いに行った。死ねばいいのにな、と思いながらぼーっとタバコをふかして、戻ると最近仲のいいファンキーラブリー後輩に遭遇して、タバコ吸いに行きましょうと言われてまた喫煙所に戻ってまた後輩からタバコを貰ってタバコを吸った。聞くと今日、最近街に旅行でやって来て、そのまま2週間ほど滞在することになったフランス人が彼女の英語サークルの集まりにやってくるらしい。自分も顔見知りだったので、ホイホイと参加することになった。

 

5時ごろに到着する彼を待って、三人で一緒にタバコを吸って、英語サークルの集まりに向かった。

 

サークル活動を8時に終えて、フランス人とファンキーラブリーと一緒に駅前の珈琲屋に向かったら、店主に今日は疲れてるから3階のボトルカフェ&バーに行ってくれと言われ、そのまま3階に向かってだらだらと話ながらビールを飲んでいた。

 

フランス人は街で最初にリノベーションを始めた人のところで働いており、同時に彼の家に滞在しているのだが、彼は街の写真を100枚スマホで撮って、文章とともにインスタグラムにまとめるプロジェクトをしているという。見たところ非常に考現学とかと似た視点で、君は街を観察している観察者なんだね、と言うとあ!そう!そうなんだよね〜と、まさにその言葉を探していたんだと言う感じであった。美術を勉強していることを向こうは知っているので、今度ドローイングを見せてくれと言われた。

 

ファンキーガールは幸せそうにゆらゆらと揺れながらホットのワンカップを飲んでいて、我々はジェンダーや日本の文化と西洋文化との差異、映画、日本語の表現の違いの面白さ(I love talk with you の意味のloveは日本語には無く、とにかく礼儀を重視する等)、なぜ彼が尾道にやって来たのかを話し合った。彼が言うには、社会の中の振る舞いには本当に大きな差異があり、例えばフランスなら頬にキスをしあうことは挨拶であったり、女性が男性にタバコの火をつけることはこの後性的な接触をしようと言う暗黙のサインだったりすること(なので日本のスナックや性産業が本当に女性に権利がないみたいで嫌だと言っていた、し、こういう意識が今後日本にも根付くのだろうなあと思う)、お酒を乾杯するときに、ヨーロッパや日本ではお互いにこの場を楽しもうと言う意識だが、トルコではテーブルに置いて、ここにいない家族や来れなかった人のことを思いましょうと言う意味だと言うことを教えて貰った。中でもフランス式ハグの実演には結構笑ってしまった。ただ、やっぱり私も他人とハグするときはまだ少しドギマギしてしまう。日本人だなあとこう言うとき意識する。

私の英語はまだまだ拙いために、あまりきちんと彼の意味を汲み取れなかったり、I will earn money をI make my money とか言ってしまって、きちんと使いこなせていないけど、そう言うコミュニケーションの中で生まれてしまう隙間みたいなところは、アルコールとタバコ、ファンキーガールの可愛さが補ってくれたように思う。自分の英語能力は、頭の出来もあるんだろうけど、瞬時に相手に返答をすることができないレベルだし、多分きちんと理解するための聴く力が弱いために、相手に不信感を抱かせてしまっている気がするので、聴く力をきちんとつけることが重要だと思う。彼はもう今日でタバコをやめるみたいので、次回どうなるかだが。健康な期間と不健康な期間で区切っているらしい。

気づけば、最終的に床ラブなファンキーに促されるままに床で座って話をしていた。今度は昼に山に登って瞑想する約束をして、今宵は御開きとなった。

 

自分だけ二人と逆方向に帰るので、店の前でバイバイと言って、肩を組みながら帰る二人の背中をちらりとみた。ファンキーガールのキラキラしたピアスが商店街の蛍光灯を反射して、灯の落ちた中を歩く二人の影はなかなかにフォトジェニックだった。

帰りながら自分たちの今の生活が古来より続くものではなく、今の自分たちの食生活も自分たちに都合のいいように作り変えられたただの仕組みと欲望の発露でしか無いことを考えていた。

20180422

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いい天気なので布団を干した。休みでいい天気だと、何かしら洗濯や布団を干したい気持ちなる。イケアで元彼と買い物をした時に新しくした白いシーツがベランダで揺れて、本当に気持ちがいい。

 

 

家族と全くうまくいっていないし、うまくいかせようという気もない。

 

 

自分はこういう人たちに育てられたから結婚もしたくないし家庭もいらないんだな、と思う。

みんなに憎まれていた親父が死んでから家族は平穏になるかのように見えたが、そんなことはなく問題は山積みで、その問題全てに忍耐強く我慢することによってうまくいかせようとしている。私一人だけがその天然全体主義の縮図のような家族たちと考えが合わない。

 

我慢することでうまくいくことなんて何一つない。我慢は忍耐ではない。自分の体が、我慢することに耐えられないほどに脆いからかもしれないが。

 

自分が今40代なら良かった、と思う。40代なら、人生の、例えば仕事や、色恋などあらかたやり終わって、様々なものが今よりも見えて、もっとちゃんと家族を大事にしよう、と思えるだろう。しかし現実の私は20代で、まだ親に養ってもらっていて、親に服従する代わりに好きなことをさせてもらっている。

 

そろそろダメかもしれないな、もう本当にダメかもしれないな、と思う。

サラダ

季節の野菜を安く、手軽に、生で食べることにはまっている。

最近は夜に食べるサラダの味がコショウ、レモン、カルダモン、クミンを適当にかけて食べるになっている。

 

ミントの葉やパセリなんかを混ぜて味にアクセントを混ぜると最後まで飽きずに食べられる。

基本的スパイスが無くても作るエキゾカレーの作り方

 

 

台湾での留学が終わって一年ぶりに自分の家に帰って来たので、前までカレーを作るときに使ってたカレーのスパイスが軒並みない。あるのは塩、胡椒、クミン、カルダモン、ナツメグ、台湾の調味料である五香粉、八角。玉ねぎとトマト、ココナッツミルクはあった。なんかなんちゃってカレーできないかなと思って感覚でつくってみたら美味しくできたので、レシピを書いておく。 



 

 

 

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レンチンした玉ねぎを中華鍋で炒める。中華鍋が万能すぎてなんでも使ってしまう。

 

最初にオイルに匂いを移す目的で八角と唐辛子を焼く。これはでも気分がでかい気がする。玉ねぎをみじん切りにしてレンチンしてバーーーっと炒める。火の加減の概念が私にはわからないので常に強火でやっていく。なんかいい感じに茶色くなって来たらクミン的なスパイス群とダイスカットしたトマトをぶちこみます。ここらへんで

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部屋が寒過ぎてめちゃくちゃ湯気が出る

冷凍した鶏肉を隣で炒めます。小さいものには小さいものを使う。なんか適当に炒めて水分が出てきてペーストっぽくなって来たら、茹でてミキサーでゲル状にしたほうれん草をいれる。

 

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みどりい

そんでミルキーっぽい何かをいれる、今回はココナッツミルク使ったけど、豆乳や牛乳、水など自分の好みによって変えていくと良い。個人的にはココナッツミルク>生クリーム>牛乳>豆乳>>水の順でシャバ感と味の濃厚さが変化する。水使うと本当にシャバいけどヴィーガン食っぽい味がする。

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ぽくなって来た

 

ここまで来るとあとは味見しながら、物足りなければ塩を足す。基本こういうインドとか東南アジアの香りがするカレーを作って、なんかが足りないなーというときは、カレールー的な思想では無くて、単純に塩が足りていない事がほとんど。なので塩を入れていくとなんとか味がまとまる。

ここまで来たらカレーをかける支持体を何にするか決める。コメならコメ、パスタならパスタ、芋なら芋というように。

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イエー

 

今回は米でした。

 

 今回はノリで五香粉を使ったけど、食べたら全く風味がなく消し飛んでいたので五香粉はカレーには向かないことがわかった。カレーはニンニクやホールスパイス無くても大丈夫で、むしろどんどんこういった無くても大丈夫なカレーがあると面白くて良いと思う。カレーは引き算的な食なんだなと思った。センキューでした。