20181031

そういえばハロウィンだった、昨日までカントリーマアムを買ってくるねといいながら買わなかった、そしてそのこともすっかり忘れていた。

楽しい夢を久しぶりに見て、細野晴臣と海辺をドライブする夢で、自分は細野さんの愛人ポジションというところで、細野さんランチとトイレがてらいい感じの古っぽい和食の料亭に入って、細野さんがトイレにいって、帰ってきたら誰かもう一人くるらしくて、その人の分のオーダーをもうすでにペンで書き取っていて、なんで細野さんスタッフっぽいことしてるんだ?と思いながら何食べる?と聞かれて脳みそが全部溶けてじゃあとナスの味噌煮込みと後一つ何か頼んだ、細野さんのオーダーメモ用紙にはなぜかトランプとか書かれていて、アメリカの大統領の名前がなぜ・・・と思った、そして私もトイレに行こうとしたら目が覚めてほんとうにトイレにいって、でもなぜかすごくハッピーでもう一回ねたら続きが見えるかもと思ったけど見えなかった。午前8時半には起床した。

 

その後家で今度学祭があるので学祭の準備をしていたら注文していたヘミングウェイの「移動祝祭日」が届いた、確実に阿久津さんの読書日記をなぞるように動いている。保坂和志も多分読むだろう、でもその前にパリに、1920年代のパリに旅行がしたかった。旅行に行きたい。ここではないどこかへいってぼんやりしたい。旅関係の会社への志望動機書を書いているのでそういうことも影響しているのかもしれない。

スマートフォンの通知の設定を変えた。ロックスクリーンに何も表示されないようにして、バックスクリーンには全てが表示されるようにした。メールやラインのポップアップも全て切った。そうすると今までにないくらい快適にiphoneが使えるようになった。案外こういうところのストレスが結構積み重なるんだろうなと思う。ストレスばっかりだ。

昨日のことを考えていて、昨日の人のことを俺はしばらく考えてしまうだろうな、考えないようにしても考えてしまうだろうなと思いながら4枚切りの食パンに台湾で買って来た鴨の脂を塗りつけながら考えていた、メッセージアプリの通知は、返事がないのが怖くて切った。コーヒーがそろそろ切れそうなので買いに行かないといけなかったし猪肉パーティの準備もしなければいけなかったし大学へ行って事務的な作業をしたり志望動機書を書いて送らないといけなかった。いい加減卒業制作に集中したい。もう二ヶ月ない。

志望動機、今回の会社に関していえばずっと好きだった会社だったしインタビューなんかも読んで決めた会社だったからすごくいい文章がかけたと自分では思った、そう思ったので次の日まで文章を寝かせることにした。今文章を書いてるのが次の日にあたるので今日推敲して御社へ送らなければならない。自分のことはあんまり信用していないので作品や文章は書いた後置いておいて冷静になった未来の自分へ見せることにしている。

自転車をこいで学校へ行ったら目の前を風がくるくると、枯れた葉っぱを交えながらくるくると吹いて、あ、これは木枯らしだ、うわっもう冬だ、明日からモンベルのジャケットを着て大学に行かないといけないなと思ってワクワクしてしまった。しかし体調を崩しかねない寒さだった。

学内では学生たちがコスプレをしたりお菓子を配り歩いたりしていて、渋谷とはうってかわってうちの大学は平和にハロウィンをしていて、ハロウィンはもうお菓子をみんなで食べるイベントにしてしまえばいいんじゃないかと思った。日本におけるハロウィン、宗教的な側面が去勢された、祭。

 

 

 

かくして平成最後のハロウィンの日に行われた猪肉パーティはゆっくりと始まった。当日になって5、6人くらい来れなくなって、来れなくなったのはかなり予想通りだったので少なくなるかなあと思いながら肉を焼いていたらかなりちょうどよい人数に収まった。場所を貸してくれた友達も当日ずっと助けてくれて、ほんとうにありがたかった。というかみんなきちんとお金も払ってくれたし野菜も持って来てくれたりしてみんながちょっとずつちょっとずつ助け合いながらご飯を食べる会を作ってくれて、みんなで鉄板で焼いた肉や野菜をずっと食べながらビールとワインを飲んで、久しぶりに、ほんとうに久しぶりに親しい友人同士でご飯を食べたり話したり笑ったりしたなあと思った。自分はこういう空気を今作ってる作品に落とし込みたいというかこういうふうな交わりのなかでずっと生きて行きたい。人と関わりたい。みんなも久しぶりにご飯食べる会みたいなのやったねーと言っていて、なんだかんだ街にこういう、友人がやっている、集まれるスペースがあるのはほんとうにとてもいいことだと思った。途中で昨日の人から返事が届いて、キャリアのことで迷ったらいつでも連絡してきてねと書かれていて、ありがとう、でも多分連絡することはないんだろうなと思った。今日会いにいくのではなくてここで猪肉パーティをすることにしてほんとうに良かった。

最後の方で、卒業後東京へ行くと言った時に、年下の子がこんなに頑張ってて、いろんな大人の中で揉まれて、いろんなことやって、すごいなと思いながらいつも見てた、すごいとおもうよ、いつもそう思ってる」と意外な人に言われて、なんというかほんとうにほんとうに嬉しかった、人に手放しで褒められるというか、それを言ってくれた人自体も地域の中で頑張っている人だと個人的には思っていて、なんというか、なんというかああよかった俺っていいところあったんだ、俺にはまだそういうところを見てくれる人がいてくれたんだとおもった、俺はこのあり方でいいんだと、そう思った。そう思いながら帰って、途中深夜にやってる古本屋に寄って、でも何も買わなくて、家で読書日記をちょっと読んだけど眠すぎて布団を崩すこともせず床で寝て、起きてこの文章を書いた。

 

 

 

20181030

今日で最後、出入りすることにしようとしていた場所があって、詳しくは描写は避けるのだけどそこに通ってた理由は、恥ずかしながらある男の人に会うみたいなことが自分の中でかなり大きな理由になっていて、最後なので会えるかなと思って何回か連絡をしていて、でも結局返事が返ってくることはなく、そして今日、やっと返事がきた時、もう本当に帰る間際のことで、しかも明日なら会えたとか言われて、明日なんて会えるわけねーだろ、明日はおれは友達と猪肉パーティだよバカ、と思った、おれがいまの決定を下すための、もうここにくるのをやめようと思った決定を下すきっかけはまさしくその男がつくったものだったので、最後にそれについてありがとうと言いたかった、もちろん今までにたくさん話してたくさん楽しかった時間をくれたことにもありがとうと言いたかった、お酒をおごってくれたこともありがとうと言いたかった、目を見て話したかった、この間あった時が本当にバタバタしてたというか40分くらい話して最近の買い物の話をしたりしてでもごめんね、また会おうねという最後だったので本当に本当に残念な別れ方をしてしまったので、最後ぐらい面と向かってさよならを言いたかったのだが、それも叶わないことになってしまった。ぶっちゃけると相手のことが好きだったのかもしれないが恋愛的な方面に発展させるつもりは毛頭なくて、しかも自分の中の好き、みたいなものとも少し遠くて、でもなぜか失恋のような気持ちを味わっていて、もうあのキャラの濃いお兄さんに会えないんだー、描いてあげた似顔絵まだ持っててくれてるかなあ〜とか、僕は面食いなので、なんだかんだ顔の好みどストレートの塩顔だったし、あの細い一重で見つめられながら名前を呼ばれたりするのがすごく好きだったなあとか、でもたぶんそういうことというかこの時間を貴重なもののように思っていたのはこっちだけだったんだろうなとかそういうことを思っていた、

ただ力技であの人に会おうとはもう思わなくて、私には私の人生があるしあの人にはあの人の人生があって、今回はその交わり方がかなり特殊すぎて、結構寂しいとか残念というかせっかく交わったのにこんな終わり方は勿体無いな、と思う終わり方をしてしまったのだけどこれは本当に、生きていると仕方ない、まあ生きてて縁があればどっかで会えるだろ、と思う。

 

今日は引き続き読書の日記を読んでいる、時間が空くとずっと読んでいるような気がする。阿久津さんの毎日は淡々とすぎていく。淡々と時が重なっている。俺もあとで今この時を振り返ってなにかしら思うことがあるのだろうなと思う。

読書の日記

fuzkueの阿久津隆さんの読書の日記という本を読んでいて、自分は本当にこういう、毎日積もって行くアーカイブというか、記録というか積層みたいな行いを見るのが本当に好きで、それは多分自分がやろうと思ってもなかなかできず短期的であったりイベント的であったりしてしまい一度も習慣になったことがないからだと思う。要は飽きっぽいのだと思うが、最近とみに自分の目に見える形でものを残すことについて真剣に考えていて、なぜなら僕はクルクルパーなのと大学に入ってからようやく自我が芽生えたので自我以前の記憶をすっかり忘れてしまっているから、というのもある。目に見える形で、未来の自分にヒントになるようなことを残したい。この間高校の時に使っていてパスワードを忘れたか受験勉強に入るからやめたかどっちかのアカウントが突然who to followのところに出てきて、読んだら確かに今の自分と続いてるんだけど、これは絶ッ対に今の自分ではないな、書いてることは本質は変わんないけど確実に断絶があるな、みたいな文章が並んでいて、もしもタイムマシンで過去の自分に戻ってあったらこういう感覚になるんだろうなと思った、固定化された、たしかにそこに存在してガラケーかパソコンでツイッターを開いてフォト蔵をつかったりtwipicを使ったりしていた頃の自分、自我が目覚める前の自分に偶然出会って、本当の本当にびっくりした、そのあとすぐにそのアカウントはまたインターネットの海に消えて行った。

高校つながりで、そういえばメガネを注文するためにメガネ屋に行った、メガネを東京で亡くしてしまったのだ。

実家に帰る時に合わせてその店に行った。そのメガネ屋は 高校2年の時に英検を受けた帰りにふらっと寄ってみつけたメガネ屋で、jinsで作ったメガネが合わなくて返品してメガネがなかったこととかが関係してあたらしいメガネとメガネ屋をちょうど探していた時で、店主のお兄さんの対応もすごく良くて、すごく丁寧にメガネやレンズを合わせてくれて、jinsで30分で作ったメガネはかけた時気分が悪くなってしんどかったのにそこで一週間かけて作ったメガネはすごく気持ち良くてフレームもとても良くて幸せで、丁寧に作られたものを受け取って身につけるみたいなのは本当に気持ちがいいなと思った、それ以来ずっと通っていて、私の目のこととかしっかりわかってくれるという信頼関係がある店で、今回もそれで選んでいて、ただし姉からは3万以内で、3万以内でといっても極力節約してねと言われていた、のだが

店主のお兄さんと13時に約束していたのだが私が寝坊をして電車を一本逃したせいで一時間到着が遅れてしまった。その旨を連絡したところ14時に駅まで迎えにいったげるわ!とのことで駅まで迎えにきてくれて、実は今日これから店主の兄さんは3時までに大阪に向けて出発しないといけなくて、それでちょっと忙しいのだという。こっちの都合でごめんよーーーと言われたけど、こちらとしても遅刻してしまったし迎えにきてもらってるし店に着いたら店主の兄さんの連れは待ってるしでうわやっべえこれ、となり、店主の兄さんがオススメしてくれたフレームの中とかその近くにあるやつからフレームをささっと選んだ、オススメしてくれたフレームはだいたい2万以上とかだったんだけど、もう5年くらい通っているのでその店の二万以下のフレームのやる気のなさとか、多分二万以下のフレームの中で自分の気にいるフレームは存在しないだろうなということとか、お兄さんが本当にいいやつを揃えててそれはだいたい二万以上だというのとかこっちはわかってるし、安いメガネで苦しい思いをしてきたのもかなりあるし、俺は兄さんが好きだったので、ぶっちゃけかなりプレッシャーはあったしなんで俺は今日寝坊なんかしてしまったんだろうとか暗惨たる気持ちになりながらも、フレームを選んだ。僕は目が少し乱視が強く、普通の安いメガネ屋だと調整が非常に難しい目をしているらしくて、いろいろと快適に過ごすのが面倒な目だったりする。オススメしてくれたフレームが27とかで、でも姉から(別に姉は金はださないんだけど)3万以下、極力抑えろって言われてるんで・・・と言って、23のフレームにしてレンズを作ってもらう時にまあ学割きかして安くしとくわーっといわれたので、と思った。これで姉も黙るだろ、と思った。そしたら次の日にメガネのことを話したらなんでそんな高いフレームにしたん、なんでそんな店の人が出してきたやつをするすると決めれるん、お前は何様なん?とか言われて、ついでにどこのメガネ屋のレンズも一緒だろ、二万以下のフレームを揃えてないメガネ屋なんかそんな売れないのにあるわけないだろ、ていうかメガネは買ったばっかりの頃は気持ち悪くなるけどすぐ慣れるもんや、お前はメガネもろくに買えないのか?とかギャーギャー言われて、それを聞いた母親すらも一理あるみたいな感じで黙ってしまい、俺は俺でかなり傷ついてもう会話をしたくなくて黙ってしまった、俺はこの目の前の女に自分の大事にしてきた関係性や信頼を、何にも知らない女に否定されるのが悔しくていやでたまらなかった、頼むから俺のそばにもう近寄らないでほしかった、ていうかメガネのフレームとかそんなどうでもいいことで人がいらついたり怒ったりしていることが信じられなかったしあったこともいったことも話したこともない店をわかったように話したりすることのその態度をもう視界にいれたくもなかった。俺はこんなくそくだらないことで人を怒らせるようなことをする人間になってしまったことの絶望と血の繋がった人々にどんどん失望していく絶望がないまぜになってなんでこんな家に生まれてきたんだろうかと思った。そして自分がすみませんとごめんなさいしか言いたくなくなるモードに入ったのを確認した。朝ごはんは食道の奥で外に出るのを待ち構えていてずっと口もとに手を置いてそれを抑え込んでいた、そとは晴れていて俺は泣いていて、昨日自分の手の中で綺麗に輝いていた自分のものになるはずの気に入ったフレームのことを思っていた。駅に送ってもらう時に母親からなんでこんなすぐ嘘をつく子供に育ったんだろう、そんなことなかったのに、大学でそんなことになったんか?と言われて、その自分は一切子育てで間違えなかったとでもいうような姿勢に反吐が出そうだった、お前の子供は昔からお前に悟られたくないことがたくさんあって今に始まったことじゃねーよと思った、姉に頭を撫でられたが気色悪かった、距離をとって暮らしたい人々にがんじがらめにされている今の状況が本当に死ぬほど嫌なんだなと思った、向こうは断絶が目の前に広がっていることにどうしてこんなに気づかずにいられるのか信じられなかった。

 

 

人からの影響を受けやすいので、読書の日記を読んでいると日記を書きたくなった、ツイッターライフログといえばライフログなのかもしれないけどあれはどちらかというとゴミ溜めとかそういうのになりつつある、嘔吐物の結晶、窓の外の風がうるさい。

 

 

 

読書の日記の真似じゃないけど、ちょっとしばらく自分の中で日記ブームが続くと思うので、日記みたいなことをしてみようと思う。今は坂本龍一の40歳くらいの時のアルバムを聞いていて、坂本龍一みたいな完璧な音楽の神に愛された天才が、歌うとちょっと、いやかなり下手くそなのに愛嬌があって、心解かれるような歌声なのは、本当にずるいと思う。美貌の青空はかなり好きだ。とりあえず今日は阿久津さんリスペクトで、ウイスキーを飲んでチョコを食べて、読書の日記を読み進めようと思う。

イノシシを解体した

 

山の奥に猟師をやってる友人がいるので、渋家に住んでた友人がこっちにやってくるタイミングに合わせて行ってきた。

 

昼ごはんを食べて、山の中を車でびゅんびゅん飛ばす。初日は少し雨が降っていて、霧が出たりもしていたのだけど、雲の晴れ間からわーーっと太陽がのぞいた時は天地創造の瞬間に立ち会ったような気持ちになった。

 

その日の夕方に解体場に向かい、猟師の友人と、友人の友人の肉屋さんから丁寧に教えてもらいながら、うりぼう一頭を丁寧に四人がかりでさばいて行った。

むかしイノシシをさばいた経験があって、その時は素人四人とよくイノシシをとる人の五人でやったのだけれど、ぶっちゃけみんな肉をさばくことに関しては素人だし、さばいた環境もそんなに衛生的ではなかった。今回の懇切丁寧で、衛生的(皮を刃が突き破ったら即煮沸消毒10秒、皮に刃が触れても煮沸)で、肉をさばくとはなにか、人の口に入るものを作るとは何か、プロの仕事とはということをまざまざと見せつけられた経験とは雲泥の差だった。今回の経験はより、肉を食べる、生き物を殺してどういう風に食べてやるかいうことの方面を強く感じた。

銀の解体台に乗せられたイノシシの皮をナイフでどんどん剥いでいき、肉だけにしていく。皮を剥かれたイノシシは、気づけば肉になっていた。背中まで刃を入れて、背中だけ残ったらあとはフックで吊るして、背中に刃を入れやすいようにし、背中の肉と皮の間に刃を入れて皮を剥いでいく。

イノシシ肉は癖があると思われがちだが、きちんと血抜きをすればそうではない。殺し方、血抜きのやり方、様々な要因で臭くなるが、その原因を排除すれば驚くほど臭みのない肉を食べることができる。

皮が完全に向けたら、頭を取る。首の骨の隙間に刃をすべらせ、頭を取る。

脳みそを食べてみたいと友人が言ったので、頭の骨をのこぎりで割り、そのまま脳みそを茹でた。脳みそは魚の白子みたいな味がした。寒かったので、近くのお店から猪肉の味噌汁の差し入れが届き、脳みその茹でたやつと一緒に食べながらしばし休憩する。

その後、肩ロースやもも肉など、聞いたことのある部位に分けながら、関節にそって、骨にそって、肉を分解していった。ここがサーロイン、ここがヒレ肉・・・など、切り分けられた肉が、スーパーでよく見る形になっていく過程は面白かった。ああ、食べるってこういうことだよな、そういうことだよな、と思った。

肉は、血が出ているのに全く血生臭くなかった。むしろスーパーのものよりもいい匂いがした。

筋膜の隙間の筋を切って、肉と骨を分けていく。その隙間からは美しい匂いがした。

 

肉に愛おしさが込み上げてくる、と肉屋のお兄さんはいう。解体していると、このイノシシはこういうやつだったのかなあ、とかこいつかわいいなあ、とか、美味しく食べてやるからな、と思うのだという。その感覚がなんとなくわかった気がしたし、目の前の肉をきちんとたべてやらにゃ、と思った。

そのあとパック詰をして、家に持ち帰る時、今日解体をみにきた近隣の人、教えてくれた肉屋の人、猟師の自分の友達、東京からわざわざ会いにきてくれた友達すべてにありがたい、出会えてよかったなあという気持ちが出てきて、いつも日常生活で感じている変なストレスが霧散していったのを感じた。

 

そのあと、友人の家でサーロインステーキ、猪肉のしゃぶしゃぶ、カレーいため、ルッコラとレタスのサラダ、友人お手製のパンを食べながら解体について話し合い、ビールをのみ、暖かくして眠った。

 

朝起きると、友人が昨日の皿を片付けてくれていた。

カーテンから差し込む光があまりに美しくて、私は起きて一番になんてきれいなんだ、美しい光だと思った。イノシシ肉をたらふく食べて、体がすごくポカポカしていた。

朝ごはんは、付近で採れたレタスとりんご、友人のパン、イノシシの骨でだしをとったサツマイモとジャガイモの味噌汁、ご近所さんの育てた放し飼いの鶏の産んだ卵で卵かけご飯を食べた。もちろん、コメも地元のコメだ。

そのあとピクニックへ行って、友人のオススメの湖畔でコーヒーとパン、おやつを食べながら、友人がこれからやりたいことや、とりとめのないことを話しあった。水面の光が木に反射して、音が何もなくて、とても気持ちが良かった。猟師の友人がこの場所を共有するのは初めてで、共有できて良かった、といってくれて、自分の大事な場所に人を招き入れる勇気のあることをしてくれてほんとうにありがとうと思った。

同じものを食べて、同じ場所で眠って、特別な場所を共有すると、人間は心にパスができると思う。心のパスをたくさんの人と繋げることができて、本当に今回の旅行は気持ちが良かった。また遊びに行きたい。

 

20181009

 

最近自分の行為がどんどん雑になっていることに気づいて、おかしくなっていることに気づいた。

コンビニの食事で毎日済ませたりとか、バスに毎日乗ったりとか、すごく些細なことだったんだけどそれと日常のストレス(家族、仕事、制作、人間関係)もろもろで、とうとう最終面接の会社にも落ちてしまい一気にどん底になってしまった。

 

面接に落ちた後あまりにもしんどくて、そこまでしんどくないつもりなのになぜかしんどくて、お昼ぐらいに外に出ようとして準備をしようとしたらぼろぼろと突然泣いてしまって今日はI日休憩することに決めた。

 

その後好きな珈琲屋に行って、タバコを巻きながらぽつぽつとそういった話をしていたら、「良くなる意思」みたいなものを今君は失っていて、それを忘れるっていうのはすごくやばいから、思い出さないといけないよ、と店主に言われた。

 

良くなる意思とは、具体的にいうと自分の行為とか、動きとか、思考とか、生活とかを良くしていくぞ、例えば目の前のタバコの巻き方を、適当にするんじゃなくてきちんと上手くなっていこうとすること、たべものをゆっくりと噛んで食べること、物事を適当にゴリ押しで済ますのではなくて、きちんと良くなるようにしていくことなどが含まれる。

 

そういった感情をそういえば久しく生活の忙しさとか、ストレスとか、様々なものでおしつぶされてすり減らしてしまった。

店主にタバコの巻き方を教わりながら美味しいコーヒーを飲んでいると、逆に面接に落ちて、アーティストとしてやっていくことについてきちんと覚悟が決まってよかったんじゃないかと思うようになった。デザイナーとか、自分が適所ではないところにいかなくてよかったと思った。適所のことについて、面接落ちた時に先生に相談した時に、自分がいて自然だと思う所を想像したらいいよと言われ、その時思ったのがカフェでコーヒーをいれている自分とか、古着屋で働いている自分とかで、決してデザイナーやいけてるオフィスで働いてる自分ではなかった。そっちのほうがほんとに楽に生きていけるとも思う、

 

なりたい自分となれる自分は違うのだ、なれる自分の中でいちばん良くなれるように選択していくしかできない。

 

 

最後に店主から前向きになれるパズルを渡されて、もう一人のお客さんとうんうんうなりながら解いていたら解けた時にはもう日が暮れていて、すごくすっきりした気持ちになれた。休憩したので、ゆっくり頑張ろうと思う。とりあえず適所ではないところには、もういかないようにしようと思う。

 

 

 

 

空いた缶詰を灰皿にして吸うメンソール 雨止まず

 

台風の影響で大学が休講になった。今日は作品の提出の日であり、好きな先生の授業の日でもあったのだけれど、すべてが狂ってしまい少しけだるさが体に重くのしかかる。

 

大学へ行って制作でもしようかとおもうけれど、低気圧に弱すぎて準備する前に一眠りと思っていたら目が覚めたら三時だったので、もうとりあえず映画を見て、そうめんを食べて、酒でも飲んでいるけれど、1日を無駄に過ごしたと思いたくなくて、こうしてここに文章を、つれづれと書いている。兼好法師もひょっとするとこういう日があったのかもしれない。

 

最近、自分の生活にわざとノイズを挟むようにしていて、絶対に話の合わないような人とエンカウントする遊びをしている。これは人から見れば非常に時間の無駄なのかもしれないが、様々な人間の仕事や、人生を垣間見ることは、自分にとってとても面白い。結局自分の住んでいる街、住んでいるところでは、自分に似た人しか寄ってこない(まあ、結局そのエンカウントののちに仲良くなる人は、自分に合った人しかいないのだけれど。)

袖振り合うは他生の縁とはよく言ったもので、そういう人々と話をするたびに、人間は一期一会で、次に出会える保証はどこにもないのだと思う。現に、おそらくもう二度と会えない人ばかりだ。だからこそこの一瞬一瞬を大事にしないといけないのだなあと思う。

 

 

どうでもいいけれど、ひょっとすると中村明日美子のJのすべてで出ていた女タバコってフィリップ・モリス社のマルボロ4mgなのだろうか。最近ふと吸って見たくなって、昨日なんの気なしに買って見たのだけれど、なかなか口の中がすっとして気持ちがいい。もうめったと一人で吸わないけれど、こういう雨の日に吸うと葉がしっけてうまいし、ウイスキーと合わせるととてもうまいと思う。

あと一本映画でも観ようかな。

 

短歌

 

 

シュレーディンガーのメールとはこのことか ブルーライトを浴びる夜

 

あゝきみと 眠ろう共に とおくまで 溶けてくからだ うしなえさかい

 

海を見ていたのか何を見ていたのか 記憶のビデオにきみしかいなくて。

 

33で 散々なんだ 嗤うきみ わたしはそういう きみが大好き

 

青い空 白い雲 黄身のシャツに つたう首筋の汗 ひとすじ。

 

さしあたり よかろう時で ないですか  寄せるくちびる あついゆびさき

 

映画でも観てるようだねぼんやりと たゆたうバスは僕を溶かして

 

この心できみを喰い潰してやりたいよ、だから笑顔をくれないか